本部平原■怕尼芝王統(北山王国)・3代目王・攀安知に仕えていた武将。
■攀安知に中山攻略を提言、挙兵したが、本部平原を心よく思っていなかった羽地、国頭、名護などの諸按司(豪族)が中山王・思紹に本部平原挙兵の事実を伝えた事により、中山の北山討伐へとつながり、中山王・思紹の子・巴志と羽地、国頭、名護などの按司連合により北山は壊滅する。
■本部平原は巴志の懐柔策によって寝返り今帰仁城に火を放ち、今帰仁城崩落の大役を果たしたが、本部平原の寝返りに怒った攀安知により殺害された。
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大城賢雄■越来親方。
■俗称・鬼大城(おにうふぐすく)。
■護佐丸・阿麻和利の乱の後、勝連城主となり、阿麻和利の妻・百度踏揚を娶る。
■1469年、クーデターにより第一尚氏を滅ぼした金丸(のちの第二尚氏王統・初代王・尚円王)により城を追われます。
■第一尚氏再興を目指し、安谷屋按司、伊波按司等と北谷間切に「国直城」の築城に着手するが新王朝軍に攻められ敗走、知花グスクの洞窟に立てこもるが包囲され自害した。
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