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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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政治家 での検索結果

5件の該当データがありました。

宜湾朝保 (ぎわん ちょうほ)

東西洋学に長けた歌人。「琉球の五偉人」の一指。
[人物] [政治家]
 生没年:1823-1876
■唐名:向有恒。名乗:朝保。→向有恒・宜湾親方朝保。
■接貢船修甫奉行→異国船御用係→学校奉行→系図奉行→三司官。
■後年、歌人、八田知紀に和歌を師事し、松風斎を名乗り、琉球歌壇の基礎を築いた。

儀間真常 (ぎま しんじょう)

琉球王朝の産業の基礎を築いた「琉球の五偉人」。
[人物] [政治家]
 生没年:1557-1644
■麻時嘗・儀間親雲上真命の三男。
■唐名:麻平衡(まへいこう)。童名:真市。名乗:真常。→麻平衡・儀間親方真常。
■野國總管が1605年に中国から持ち帰ったサツマイモを県内に広め庶民の食を助けた。後にサツマイモは琉球から薩摩に伝わり日本全国に広まった。
■薩摩より木綿種を琉球に持ち込み、木綿織りを広め琉球絣(かすり)の基礎を作った。
■サトウキビを県内に広め現代につながる砂糖産業の基盤を作った。
■奥武山にある世持神社に、蔡温、野国総管とともに産業の恩人としてまつられている。

羽地朝秀 (はねじちょうしゅう)

「琉球の五偉人」の一人。
[人物] [政治家] [按司]
 生没年:1617-1676
■王族の羽地御殿5世・朝泰の長男。
■唐名:呉象賢。名乗:重家。→呉象賢・羽地按司重家。
■琉球王国最初の歴史書「中山世鑑」の編纂を行なった。
■羽地間切の按司地頭を継いだが、1666~1673年、尚質王の摂政となり、数々の改革を行ない王国の経済を立て直した。
■那覇市首里平良町に「羽地朝秀の墓」がある。

瀬長亀次郎 (せなが かめじろう)

瀬長亀次郎・記念館の名称は「不屈館」
[人物] [政治家]
 生没年:1907-2001
■出身:現・豊見城市
政治家以外の経歴…
名護町助役→沖縄朝日新聞記者→毎日新聞沖縄支局記者を→にうるま新報(現琉球新報)社長。
政治家としての経歴…
那覇市長(1期)、沖縄人民党委員長、立法院議員(3期)、衆議院議員(7期)、日本共産党副委員長。
■投獄歴…
1932年、丹那トンネル労働争議を指導し治安維持法違反で初めての逮捕・投獄。
1954年、沖縄人民党事件で逮捕投獄。
■戦後、沖縄人民党の結成に参加し、米軍に対する抵抗運動を行った。返還前は立法院議員や那覇市長を歴任したが、占領軍により被選挙権を剥奪され那覇市長の座を一年足らずで失う。返還後は立法院議員3期、衆議院議員(日本共産党党員)を7期務めた。
晩年はその活動を認められ数々の賞を受賞している。那覇名誉市民、豊見城名誉村民。

久米三十六姓 (くめさんじゅうろくせい)

約五百年の長きにわたり貿易や外交に従事した集団。
[家系] [門中]
■1392年、察度王統(中山王国)・初代王・察度の後期に洪武帝より賜った多くの学者や航海士などの職能集団。
■彼らの出身地が?(びん)と呼ばれる地域(現在の福建省あたり)だったことから「?人三十六姓」という事もある。
■彼らの子孫が那覇の久米村に定住し、中国との外交や貿易といった特殊な職能集団だったことから、後に多くの学者や政治家を輩出した。
蔡鐸の子で三司官に就任した蔡温も久米士族として異例の抜擢を受けた一人。
■しかし、近年の研究で、久米村を形成した中華系の人々は、元は貿易、商売で琉球に来て定住した中国人の子孫ではないかという説が有力になってきている。

琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。