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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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北山王 での検索結果

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宝剣「千代金丸」 (ちよがねまる)

琉球王家尚家伝来品・三振りの一つ
[重要文化財] [宝剣]
怕尼芝王統(北山王国)・3代目王・攀安知が、中山王・思紹の子・巴志の北山攻めの際に使用した宝剣。
怕尼芝王統・先祖伝来の宝剣とされる。
■後に尚氏の手に渡った。
■「琉球王家尚家伝来品」三振りの宝剣の一つ。
■2006年、「琉球国王尚家関係資料」として国宝に指定された。
■指定名称は「金装宝剣拵 刀身無銘(号 千代金丸)」。
【琉球王家尚家伝来品・三振り】
・千代金丸(ちよがねまる)
・治金丸(ちがねまる)
・北谷菜切(ちゃたんなきり)

今帰仁城跡 (なきじんじょうせき)

琉球国北山王の居城。
[史跡] [世界遺産]
■1416年、怕尼芝王統(北山王国)・3代目王・攀安知が中山の思紹の子・巴志との戦いで敗れた後は北山監守の居城となり、
1665年、今帰仁朝幸を最後に北山監守職が廃止されてからは、祭事を執り行う場所として利用された。
■県内最大級のグスクである。
■桜の名所として有名。
■1972年5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定された。
■2000年11月に首里城跡などとともに
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
【連絡先】
〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101
TEL:0980-56-4400

北山監守 (ほくざんかんしゅ)

北山の監視に設置された要職。
[制度] [官職]
■旧北山国(現今帰仁村を中心とした沖縄本島北部)の監視及び統治を目的として設けられた琉球王国の官職。
■中山王・思紹の子・巴志が怕尼芝王統(北山王国)・攀安知を攻略した後、次男尚忠を北山監守として置いたのが始まり。
今帰仁朝幸が最後の北山監守となり、第二尚氏王統・10代目王・尚質王の1665年に廃止された。

護佐丸 (ごさまる)

第一尚氏王統6代に仕えた忠節の人。
[人物] [按司]
 生没年:生年不詳-1458
■恩納村出身。
怕尼芝王統(北山王国)・初代王・怕尼芝によって滅ぼされた先今帰仁按司の末裔。
■1416年、尚巴志の北部征伐に参加し怕尼芝王統を滅ぼし、先祖の仇を討った。
■北山平定後、尚巴志より北山守護職に任じられる。
■1422年、尚巴志の二男尚忠が北山監守になると、護佐丸は座喜味城(読谷村在)に転居となり、以降18年間居城した。
■座喜味城や中城城を築き、中城按司となる。
五大姓(五大名門)の一つである「毛氏豊見城殿内」の元祖。
■第一尚氏王統・6代目王・尚泰久王に娘を嫁がせ妃としている。→その娘:百度踏揚
■第一尚氏王統建国の功臣で琉球統一王朝6代に仕えたが、晩年謀反の嫌疑をかけられ、第一尚氏王統・6代目王・尚泰久王の命を受けた勝連按司・阿麻和利によって攻められ、王府軍と知るや妻子とともに自害した。
■その際に乳母と逃げ落ちた護佐丸の三男、盛親は第二尚氏王統・初代王・尚円王に登用されて豊見城間切の総地頭職に任じられ、五大姓の一つ毛氏豊見城殿内の基礎を成した。
■護佐丸は後世に唐名・毛国鼎(もうこくてい)を授けられている。

本部平原 (もとぶていばら)

北山王国滅亡の原因となった武将。
[人物] [武将]
怕尼芝王統(北山王国)・3代目王・攀安知に仕えていた武将。
攀安知に中山攻略を提言、挙兵したが、本部平原を心よく思っていなかった羽地、国頭、名護などの諸按司(豪族)が中山王・思紹に本部平原挙兵の事実を伝えた事により、中山の北山討伐へとつながり、中山王・思紹の子・巴志と羽地、国頭、名護などの按司連合により北山は壊滅する。
■本部平原は巴志の懐柔策によって寝返り今帰仁城に火を放ち、今帰仁城崩落の大役を果たしたが、本部平原の寝返りに怒った攀安知により殺害された。

尚巴志王 (しょう はしおう)

第一尚氏王統・2代目王 琉球統一王朝・初代王
[人物] [国王]
 生没年:1372-1439
■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■琉球王国の第一尚氏王統・2代目王。
■琉球王国最初の統一王朝を成立させた。
■在位:1421年~1439年。
■神号は勢治高真物(せじたかまもの)。
■21歳で父の後を継ぎ南山の佐敷按司となる。
■1406年、父・尚思紹と共に中山王・武寧察度王朝を攻略、首里に遷都、明の永楽帝に遣いを出し、父・尚思紹を中山王に即位させる。
■1416年、父・尚思紹と共に北山王攀安知怕尼芝王朝を攻略、次男尚忠を北山監守として北部を管理下に収める。
■1421年、父・尚思紹王の崩御により中山王に即位。
■1429年、南山王・他魯毎の大里王朝を攻略し三山を統一、第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝を成立させた。
■首里城を築き拡張整備した。
■那覇港の整備をし、中国、日本、朝鮮、南方諸国との交易を行なった。

尚思紹王 (しょう ししょうおう)

第一尚氏王統・初代王
[人物] [国王]
 生没年:1354-1421
■琉球国中山王。
■居城は佐敷城。
■琉球王国の第一尚氏王統・初代国王。
■在位:1406年~1421年。
■神号は君志真物(きみしまもの)。
■父は鮫川大主(さめかわうふぬし)、母は大城按司の娘、祖父は伊平屋島の屋蔵大主
■1406年、長男・尚巴志が中山王・武寧を滅ぼし、明の永楽帝に遣いを出して、父である思紹が中山王となった。
その際、尚巴志は「父思紹は武寧の子である」と称して明に遣使している。
■1416年、長男・尚巴志と共に怕尼芝王統(北山王国)を平らげる。
■陵墓は「佐敷ようどれ」。航空自衛隊知念分屯基地管理地区(南城市佐敷)にあるゲートで「佐敷ようどれ」に行きたいと伝えれば通してもらえるようだ。

攀安知 (はんあんち)

怕尼芝王統(北山王国)・3代目王で怕尼芝王統最後の王。
[人物] [北山王]
 生没年:-1416
■琉球国北山王
■在位:1401年~1416年。
■居城は今帰仁城。
怕尼芝王統・2代目王、の長男。
■山北国・怕尼芝王統最後の王。
■1416年、中山の思紹の子・巴志と戦い臣下の本部平原の裏切りもあり、居城の今帰仁城にて自刃、その生涯を終え、北山王国は滅亡した。

珉 (みん)

怕尼芝王統(北山王国)・2代目王
[人物] [北山王]
 生没年:-1400
■琉球国北山王
■在位:1393年~1400年。
■居城は今帰仁城。
怕尼芝王統・初代王、怕尼芝の長男。
■実際には王ではなく羽地按司と称していたと考えられる。

怕尼芝 (はにじ)

怕尼芝王統(北山王国)・初代王
[人物] [北山王]
 生没年:-1395
■琉球国北山王
■在位:1322年~1395年。
■居城は今帰仁城。
英祖王統・初代王・英祖の次男、湧川按司の孫という説がある。
■1383年1月、明の永楽帝が琉球諸王国間の停戦の奉勅を下し、あわせて朝貢を命じた。これに応じて同年12月に進貢する。以後、1384年、1385年、1388年に2回、1390年の朝貢の記録がある。1385年には駝紐鍍金印を下賜されている。
■親子数代で同じ名を襲名した可能性がある。
■実際には王ではなく羽地按司と称していたと考えられる。

琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。