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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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汪英紫 (おうえいじ)

大里王統(南山王国)・2代目王
[人物] [南山王]
 生没年:-1402
■琉球国南山王。
■在位:1388年~1402年。
■居城は島尻大里城。
■大里王統の2代目王、先代の三男。
■先代の察度が複数代襲名した名前である可能性があり、先代・察度の叔父であったとの説もある。

 writer:大蔵 登録日:2013/07/26

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承察度

■琉球国南山王。 ■在位:1337年~1396年。 ■居城は島尻大里城。 ■1380年に初めて明へ進貢。 ■1383、84、85年と続けて進貢し、1385年には明の皇帝より山南王として鍍金の銀印を下賜されている。その後も、何度か明へ進貢した。 ■親子数代で同じ名を襲名した可能性がある。 ■中国、朝鮮に承察度(温沙道)と名乗る人物が朝鮮・晋陽に亡命した記録があり、叔父の汪英紫に王位を奪われ、朝鮮に亡命したとの説もある。
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汪応祖

■琉球国南山王。 ■在位:1403年~1413年。 ■居城は島尻大里城。 ■大里王統・3代目王、汪英紫の次男。 ■15世紀初めに豊見城(とみぐすく)を築いた。 ■明の南京に留学した経験があり、明で見た龍舟を造って5月の始めに城下の江で競渡をしたのが爬竜(ハーリー)の始まりという説がある。 ■1413年、弟の栄華を恨んだ実兄の達勃期(たふち)によって殺された。
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