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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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尚灝王 (しょうこうおう)

第二尚氏王統・17代目王
[人物] [国王]
 生没年:1787-1834
■琉球王国・第二尚氏王統・14代目国王・尚穆王の孫。尚穆王の長男・尚哲の4男。
■琉球王国・第二尚氏王統・17代目国王。
■琉球国王。
■居城は首里城。
■在位:1804年~1834年。
■童名は思次良金(うみじらがね)。
■尚?王時代に琉球の刑法典「新集科律」の編纂があった。
■墓陵は首里玉陵
 writer:大蔵 登録日:2013/07/26

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他の 国王 関連情報 (2件)

尚泰王

■琉球王国・第二尚氏王統・18代目国王・尚育王の二男。 ■琉球王国・第二尚氏王統・19代目国王であり最後の国王となった。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1848年~1872年。→琉球藩王。 ■童名は思次良金。 ■1848年、4歳で即位。 ■1853年、ペリー来航。 ■1854年、琉米修好条約締結。 ■1855年、琉仏修好条約締結。 ■1859年、琉蘭修好条約締結。 ■1872年、国王退位後、引き続き日本の華族(侯爵)として琉球藩王となる。 ■1879年、琉球処分により琉球藩に沖縄県が設置され、尚泰王は藩王としての地位を失い、琉球藩は消滅した。 ■首里城退去も余儀なくされ、華族として東京に居を移すこととなった。 ■1901年、尚泰は59歳でその生涯を終えた。 ■墓陵は首里玉陵。
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尚徳王

■琉球国中山王。 ■居城は首里城。 ■在位:1460年~1469年。 ■神号は八幡按司または世高王。 ■尚泰久王の三男(側室・宮里阿護母志良礼の子)。 ■1460年、父・尚泰久王の死去により妾腹だが長兄・金橋王子を退けて第一尚氏王統・7代目王に即位。 ■マラッカとの交易を開始。 ■1466年、自ら2000の兵を率いて喜界島へ遠征し領土を拡大。 ■足利義政に使節団を派遣。 ■朝鮮から方冊蔵経を贈られる。 ■天界寺を創建。 ■1469年、29歳で薨去。直後に金丸(後の尚円王)がクーデターを起こし、第一尚氏王統一族はことごとく殺害、追放され、第一尚氏王統は滅亡した。 ■なお、尚徳王の崩御については、久高島で愛妾にうつつを抜かしているうちにクーデターが起き、漁師から金丸即位を聞き、憤って海に投身したとの説もある。 ■第一尚氏王統最後の国王となった。
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