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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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尚寧王 (しょうねいおう)

第二尚氏王統・7代目王
[人物] [国王]
 生没年:1564-1620
■王家分家・小禄御殿3世、尚懿・与那城王子朝賢(第2代尚真王の孫)の長男で、尚永王の娘婿。
■琉球王国・第二尚氏王統・7代目国王。
■琉球国王。
■居城は首里城。
■在位:1589年~1620年。
■童名は思徳金。
■神号は日賀末按司添(てだがすえあんじおそい)。
■分家から国王に就いたことから、尚寧王一族を尚清王の家系「首里尚家」と区別する為「浦添尚家」と称する文献もある。
■1609年、薩摩藩・島津氏の侵攻を受け降伏。以後、琉球は薩摩藩と明の二ヶ国に両属する事となる。
■尚寧王は薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍の徳川秀忠に謁見、後に琉球に戻された。
■1613年、薩摩藩に奄美群島を割譲した。
■1613年、おもろさうし第2巻が編纂された。
■墓陵は浦添ようどれ
 writer:大蔵 登録日:2013/07/26

尚寧王 に関連するその他の情報

本文中に「尚寧王」を含むその他の情報が 2件ありました。
>> 浦添ようどれ
…国指定史跡「浦添城跡」の一部をなす琉球国王の墓。
>> おもろさうし
…当時の人々の暮らしをうかがわせる1554首の歌集。
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他の 国王 関連情報 (2件)

尚思紹王

■琉球国中山王。 ■居城は佐敷城。 ■琉球王国の第一尚氏王統・初代国王。 ■在位:1406年~1421年。 ■神号は君志真物(きみしまもの)。 ■父は鮫川大主(さめかわうふぬし)、母は大城按司の娘、祖父は伊平屋島の屋蔵大主。 ■1406年、長男・尚巴志が中山王・武寧を滅ぼし、明の永楽帝に遣いを出して、父である思紹が中山王となった。 その際、尚巴志は「父思紹は武寧の子である」と称して明に遣使している。 ■1416年、長男・尚巴志と共に怕尼芝王統(北山王国)を平らげる。 ■陵墓は「佐敷ようどれ」。航空自衛隊知念分屯基地管理地区(南城市佐敷)にあるゲートで「佐敷ようどれ」に行きたいと伝えれば通してもらえるようだ。
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尚円王

■父・尚稷、母・瑞雲。 ■妃・世添大美御前加那志。 ■幼名を思徳金(うみとくがね)といい、以降は金丸(かなまる)と名乗る。 ■1415年、伊是名島、諸見村生まれ。 ■琉球王国・第二尚氏王統・初代国王。 ■琉球国王(琉球国中山王)。 ■居城は首里城。 ■在位:1469年~1476年。 ■神号は金丸按司添末続之王仁子(かなまるあじすえつぎのおうにし)。 ■(1434年)20歳、両親を亡くす。 ■(1438年)24歳、妻と弟を連れ国頭村に移動。 ■(1441年)27歳、首里に移動。越来王子(後の尚泰久王)に見い出されその家臣となる。 ■(1452年)38歳、最高位・黄冠を授かる。 ■(1454年)40歳、尚泰久の即位を機に、西原間切の内間領主に任命される。 ■(1459年)45歳、御物城御鎖側官(貿易長官)に就任。 ■(1460年)46歳、長年寵愛を受けた尚泰久王が薨去。尚徳王即位。 ■(1468年)54歳、尚徳王との関係が上手くいかないまま内間村に隠遁。 ■(1469年)55歳、4月尚徳王が薨去。重臣会議による次期国王推挙を受け尚円として王位に即位した。 ■即位に当たり「尚氏」を名乗った背景として、当時の琉球経済は明との朝貢貿易により成り立っており、王統の継続を装う必要があったからと考えられる。 ■第二尚氏時代に編纂された「中山世譜」「球陽」を見るにあたっても、第一尚氏一党に対する殺戮は行われている事から、王統交代にあたっての粛清が行われたのは間違いないと考えられる。 ■天王寺・龍福寺・崇元寺を建立。 ■朝貢貿易の進貢間隔を二年一貢と制定。 ■墓陵は見上森陵~首里玉陵。
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