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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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今帰仁朝典 (なきじん ちょうてん)

初代の北山監守
[人物] [按司]
 生没年:不詳
■第二尚氏王統・3代目王・尚真王の三男。
■唐名・尚韶威、童名・真武体金。
向氏具志川御殿における初代の北山監守
■同家七世にあたる向従憲・今帰仁按司・今帰仁朝幸まで代々北山監守職を世襲した。
■「向氏具志川御殿」の元祖。
■墓所は首里の玉陵「西之玉陵」。
 writer:大蔵 登録日:2013/7/26

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他の 按司 関連情報 (2件)

今帰仁朝幸

■尚韶威・今帰仁王子朝典を元祖とする向氏具志川御殿の七世。 ■最後の北山監守。 ■1665年、首里に住むように命ぜられ、同時に北山監守職も廃止された。
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護佐丸

■恩納村出身。 ■怕尼芝王統(北山王国)・初代王・怕尼芝によって滅ぼされた先今帰仁按司の末裔。 ■1416年、尚巴志の北部征伐に参加し怕尼芝王統を滅ぼし、先祖の仇を討った。 ■北山平定後、尚巴志より北山守護職に任じられる。 ■1422年、尚巴志の二男尚忠が北山監守になると、護佐丸は座喜味城(読谷村在)に転居となり、以降18年間居城した。 ■座喜味城や中城城を築き、中城按司となる。 ■五大姓(五大名門)の一つである「毛氏豊見城殿内」の元祖。 ■第一尚氏王統・6代目王・尚泰久王に娘を嫁がせ妃としている。→その娘:百度踏揚。 ■第一尚氏王統建国の功臣で琉球統一王朝6代に仕えたが、晩年謀反の嫌疑をかけられ、第一尚氏王統・6代目王・尚泰久王の命を受けた勝連按司・阿麻和利によって攻められ、王府軍と知るや妻子とともに自害した。 ■その際に乳母と逃げ落ちた護佐丸の三男、盛親は第二尚氏王統・初代王・尚円王に登用されて豊見城間切の総地頭職に任じられ、五大姓の一つ毛氏豊見城殿内の基礎を成した。 ■護佐丸は後世に唐名・毛国鼎(もうこくてい)を授けられている。
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