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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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尚豊王 (しょうほうおう)

第二尚氏王統・8代目王
[人物] [国王]
 生没年:1590-1640
■琉球王国・第二尚氏王統・5代目国王・尚元王の第3王子・大金武王子朝公の4男。
■琉球王国・第二尚氏王統・8代目国王。
■琉球国王。
■居城は首里城。
■在位:1621年~1640年。
■童名は思五郎金。
■神号は天喜也末按司添(てにぎやすゑあんじおそい)。
■1636年、薩摩藩から琉球国王の王号を剥奪され、琉球国司を名乗るようになる。
■墓陵は首里玉陵
■1623年、おもろさうし全22巻のうち、1、2巻を除く20巻が編纂された。
 writer:大蔵 登録日:2013/07/26

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尚金福王

■琉球国中山王。 ■居城は首里城。 ■在位:1449年~1453年。 ■在位期間:4年。 ■神号は君志(きみし)。 ■尚巴志王の子であり、尚忠王の弟。前王・尚思達王の叔父にあたる。 ■1449年、甥である尚思達王の死去により第一尚氏王統・5代目王に即位。 ■「長虹堤(ちょうこうてい)」の建造…1451年、明からの冊封使を迎え入れるため、浮島と呼ばれる小港・那覇を貿易港として整備し、那覇市松山付近にあった伊辺嘉麻(いべがま)から崇元寺付近(那覇市泊)までの間に「長虹堤(ちょうこうてい)」と呼ばれる約1kmの堤防と橋からなる堤道を建設させ首里との道を繋いだ。 ■当時の安里川、国場川流域は点在する小島の集まりであったが長虹堤の建造により、港・那覇の人口が増加するとともに埋め立てが進んだ。特に明治以降の埋め立てにより現在の形となった。 ■尚金福王の崩御に伴い、息子の志魯と弟の布里が王位を争い「志魯・布里の乱」を引き起こした。
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尚寧王

■王家分家・小禄御殿3世、尚懿・与那城王子朝賢(第2代尚真王の孫)の長男で、尚永王の娘婿。 ■琉球王国・第二尚氏王統・7代目国王。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1589年~1620年。 ■童名は思徳金。 ■神号は日賀末按司添(てだがすえあんじおそい)。 ■分家から国王に就いたことから、尚寧王一族を尚清王の家系「首里尚家」と区別する為「浦添尚家」と称する文献もある。 ■1609年、薩摩藩・島津氏の侵攻を受け降伏。以後、琉球は薩摩藩と明の二ヶ国に両属する事となる。 ■尚寧王は薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍の徳川秀忠に謁見、後に琉球に戻された。 ■1613年、薩摩藩に奄美群島を割譲した。 ■1613年、おもろさうし第2巻が編纂された。 ■墓陵は浦添ようどれ。
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