沖縄観光 | 沖縄専門学校 | 沖縄タウンネット | オリジナルグッズ制作 | 沖縄印刷 | テレビCM | 沖縄ラジオCM | 翻訳通訳 | ホームページ制作 | 海外進出

琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

カテゴリー

キーワード検索


尚貞王 (しょうていおう)

第二尚氏王統・11代目王
[人物] [国王]
 生没年:1645-1709
■琉球王国・第二尚氏王統・10代目国王・尚質王の長男。
■琉球王国・第二尚氏王統・11代目国王。
■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1669年~1709年。
■尚貞王の時代に蔡鐸(蔡温の父)が「中山世譜」を編集した。
■墓陵は首里玉陵
 writer:大蔵 登録日:2013/07/26

尚貞王 に関連するその他の情報

本文中に「尚貞王」を含むその他の情報が 3件ありました。
>> 程順則
…「琉球の五偉人」の一人。日本中に影響を与えた教育の祖。
>> 中山世譜
…蔡鐸によって編纂された琉球正史。
>> 尚益王
…第二尚氏王統・12代目王
「尚貞王」についてGoogle検索でもっと調べてみる。
 >> Googleで「尚貞王」「人物」「国王」で検索
「尚貞王」についてGoogle画像検索でもっと調べてみる。
 >> Googleで「尚貞王」「人物」「国王」で画像検索
「尚貞王」について質問してみる。
 >> Yahoo!知恵袋 >> 教えて!goo
<<< 「国王」の前の情報へ
>>> 「国王」の次の情報へ

他の 国王 関連情報 (2件)

尚泰王

■琉球王国・第二尚氏王統・18代目国王・尚育王の二男。 ■琉球王国・第二尚氏王統・19代目国王であり最後の国王となった。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1848年~1872年。→琉球藩王。 ■童名は思次良金。 ■1848年、4歳で即位。 ■1853年、ペリー来航。 ■1854年、琉米修好条約締結。 ■1855年、琉仏修好条約締結。 ■1859年、琉蘭修好条約締結。 ■1872年、国王退位後、引き続き日本の華族(侯爵)として琉球藩王となる。 ■1879年、琉球処分により琉球藩に沖縄県が設置され、尚泰王は藩王としての地位を失い、琉球藩は消滅した。 ■首里城退去も余儀なくされ、華族として東京に居を移すこととなった。 ■1901年、尚泰は59歳でその生涯を終えた。 ■墓陵は首里玉陵。
>> ページに移動
尚温王

■琉球王国・第二尚氏王統・14代目国王・尚穆王の孫。尚穆王の長男・尚哲の二男。 ■琉球王国・第二尚氏王統・15代目国王。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1795年~1802年。 ■童名は思五郎金(うみごるうがね)。 ■1798年、国学(現沖縄県立首里高等学校)、平等学校を開く。 ■墓陵は首里玉陵。
>> ページに移動

琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。