15世紀後期の八重山・石垣島の英雄。
[人物] [豪族]
生没年:1400年代後半-1500
■1400年代後半の八重山の
豪族。
■波照間島出身で石垣市大浜を拠点に島民に支持された。
■於屋計赤蜂と書く事もある。
■オヤケアカハチの乱…第二尚氏王統・3代目王・
尚真王の1500年、琉球王府への貢物を拒否し、王府の軍により討伐された。
■波照間に生誕記念碑、石垣市大浜に銅像がある。
北山王国滅亡の原因となった武将。
[人物] [武将]
■
怕尼芝王統(北山王国)・3代目王・
攀安知に仕えていた武将。
■
攀安知に中山攻略を提言、挙兵したが、本部平原を心よく思っていなかった羽地、国頭、名護などの諸按司(
豪族)が中山王・思紹に本部平原挙兵の事実を伝えた事により、中山の北山討伐へとつながり、中山王・思紹の子・巴志と羽地、国頭、名護などの按司連合により北山は壊滅する。
■本部平原は巴志の懐柔策によって寝返り今帰仁城に火を放ち、今帰仁城崩落の大役を果たしたが、本部平原の寝返りに怒った
攀安知により殺害された。
第一尚氏王統・初代王・尚思紹の父
[人物] [豪族]
■伊平屋島出身。
■父は伊平屋島の
屋蔵大主。
■伊平屋島の支配下にあった隣島・伊是名島に渡り島民を指揮して伊是名グスクを再建した。
■伊是名島から本島に移り、南山・大城按司の婿となり、佐敷按司となる。
■琉球王朝第一尚氏王統・初代王・尚思紹の父。
第一尚氏王統・初代王・尚思紹の祖父
[人物] [豪族]
■伊平屋島出身。
■
英祖王統・初代王・
英祖の五男という説もある。
■伊是名島を配下に収めていた伊平屋島で勢力を振るった
豪族。
■琉球王朝第一尚氏王統・初代王・尚思紹の祖父。
■琉球王朝第一尚氏王統・初代王・尚思紹の父である長男の
鮫川大主を始め4名の子がある。
■娘2人は地元・我喜屋部落のノロとなる。