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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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尚真王 (しょうしんおう)

第二尚氏王統・3代目王
[人物] [国王]
 生没年:1465-1527
■琉球王国・第二尚氏王統・初代国王・尚円王の子。
■琉球王国・第二尚氏王統・3代目国王。
■琉球国王。
■居城は首里城。
■在位:1477年~1527年。
■童名は真加戸樽金(まかとたるかね)。
■神号は於義也嘉茂慧(おぎやかもい)。
■1500年、オヤケアカハチの乱を平定して八重山諸島を平定。
■1522年、与那国島を平定。
■地方の按司を首里に集居させ、中央集権化を図り王権の強化をはかった。
■50年に渡る在位で琉球王朝の基盤を充実させた。
■墓陵は首里玉陵
 writer:大蔵 登録日:2013/07/26

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…15世紀後期の八重山・石垣島の英雄。
>> 玉陵
…第二尚氏王統の墓。
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>> 聞得大君
…各地のノロの頂点に立つ神女。
>> 琉球の位階
…九品十八階の位階制度
>> 今帰仁朝典
…初代の北山監守
>> 尚寧王
…第二尚氏王統・7代目王
>> 尚清王
…第二尚氏王統・4代目王
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他の 国王 関連情報 (2件)

尚寧王

■王家分家・小禄御殿3世、尚懿・与那城王子朝賢(第2代尚真王の孫)の長男で、尚永王の娘婿。 ■琉球王国・第二尚氏王統・7代目国王。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1589年~1620年。 ■童名は思徳金。 ■神号は日賀末按司添(てだがすえあんじおそい)。 ■分家から国王に就いたことから、尚寧王一族を尚清王の家系「首里尚家」と区別する為「浦添尚家」と称する文献もある。 ■1609年、薩摩藩・島津氏の侵攻を受け降伏。以後、琉球は薩摩藩と明の二ヶ国に両属する事となる。 ■尚寧王は薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍の徳川秀忠に謁見、後に琉球に戻された。 ■1613年、薩摩藩に奄美群島を割譲した。 ■1613年、おもろさうし第2巻が編纂された。 ■墓陵は浦添ようどれ。
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尚泰王

■琉球王国・第二尚氏王統・18代目国王・尚育王の二男。 ■琉球王国・第二尚氏王統・19代目国王であり最後の国王となった。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1848年~1872年。→琉球藩王。 ■童名は思次良金。 ■1848年、4歳で即位。 ■1853年、ペリー来航。 ■1854年、琉米修好条約締結。 ■1855年、琉仏修好条約締結。 ■1859年、琉蘭修好条約締結。 ■1872年、国王退位後、引き続き日本の華族(侯爵)として琉球藩王となる。 ■1879年、琉球処分により琉球藩に沖縄県が設置され、尚泰王は藩王としての地位を失い、琉球藩は消滅した。 ■首里城退去も余儀なくされ、華族として東京に居を移すこととなった。 ■1901年、尚泰は59歳でその生涯を終えた。 ■墓陵は首里玉陵。
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